エンディングノートを書くのであれば、
残された人が困らないように、
希望すること、しないことをはっきり書いておく必要がありますね。
私が特に詳しく書いておきたい2つの内容のうち、
①デジタル遺産(遺品)については前回お伝えしました。
今回は②終末期、延命治療 についてお話します。
② 終末期、延命治療 について
病気で身体が弱ってきても、
友達と会って食事をしたり、
あの時こうだったね、と昔話をしたり。
きっと、途中までは良いと思うんです。
でも、いざ終末期となったら?
ドラマなどでよく見る、友人や家族に囲まれて亡くなる
…みたいのは勘弁して欲しい。
やさしさや愛情を示してくれたとしても、
健康な人との立場の違いを感じると、
私の『生』に対する執着で、その人達を妬んでしまうと思います。
(90歳位まで生きていたら十分かと思うけれど。)
だから、
誰にも知られず、そっと死にたい。
と思っている派です。
延命処置は希望しません。
ただ、この曖昧な言葉は混乱を招くので、
実際にノートに書く時は、具体的に何をどこまで、と記載した方が良いようです。
私は今のところ、下記のとおり。
● 救急搬送時、事故時の対応は医師に任せる(下記のものもOK)
● 一時的ではない、「心臓マッサージ」「人工透析」「人工呼吸器」はNG
●「栄養補給目的の点滴・経鼻栄養・胃ろう」はNG
基本的に、口から飲んだり食べたりできなくなったら寿命だと思っています。
ただ、水分補給のための通常の点滴も拒否するとなると、
病院は看取りの場所ではなく、治療する所ですから、
受け入れてくれるかどうか分からないので書けませんでした。
また、胃ろう等を始めてしまうと、
いつ中止するのか、その判断をする人に重い負担がかかりそうですし、
食欲があるかどうかも分からないのに、
強制的に栄養剤を注入されるのは絶対に嫌です。
本当は、仕事中にバタっと倒れてそのまま、というのが理想ですね。
救急搬送されたら、処置を受けることになりますが、
延命治療についての希望を早めに伝えられるよう準備しておこうと思います。
家で倒れたら、
おひとりさまの場合、気づいてもらえないと他人に迷惑がかかるので、
早めに発見してもらう仕掛けも必要ですね。
今後、気持ちが変わるかもしれないけれど、
エンディングノートは何度も書き直すことができます。
むしろ、何度も見直したほうが、
自分の生き方を真剣に考える機会になると思っています。
余談ですが、
『聴覚』は最後まで残っているとよく言いますよね。
自分自身の経験で、全身麻酔から覚める時、体が動かず声も出せないのに音は聞こえる、という状態がしばらく続いたことがありました。
意識が無いように見えても、どこかの瞬間まで聴覚はあると信じています。
以上、
「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか(石飛 幸三著)
という本を参考に書きました。
病院に運ばれると「治療をする」という意志があることになります。
決断を迫られる前に考えを整理しておきたいと思いました。
古い本ですが、日本の終末期医療の問題点について、
死の迎え方について、共感できるところが多くありました。
他にもたくさん読んでみたい本があるので、
また似たような記事を書くかもしれません。
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