凡人未満 

よく「私は凡人だから」と謙遜したり、

「凡人でもできる〇〇」みたいな表現ありますよね。

自己肯定感の低い自分にとっては、

『凡人』とは、なりたい目標です。

普通の、ありふれた、並、優れたところがない、

という意味だと理解していますが、

仲間が沢山いる、安心、という良いイメージもあるんですよね。

そういうゾーンに私も入れたら良いなあ、と。

でも、

そんな希望を持つこと自体おこがましいこと、と思っていました。

こんな、誰にも言えない気持ちを書いていると、

超ネガティブな内容になってしまうので、非公開日記がたくさんあります。

9月のある日は、次のように書いていました。

落ちこぼれでも何とか生きていこうと、投資についての本を読みましたが、

初心者用の本でも、日本語は理解できるけれど内容は頭に入ってこない。

理解できない→やけ食い→ふて寝 のループでした。

このブログのワードプレスも、投稿できるようになるまで毎日5時間調べて40日はかかりました。

病気の症状が強かったので仕方のない部分もありますが。

以前、職場でマニュアルを理解できず、動けなくなってしまったこともありました。

足し算・引き・掛け算までしか理解できない。

なんで10を3で割ったら3.3になるの?確かにそうなんだけど、腑に落ちないんです。

こんな感じでした。

でも何故か、この数日で心境に変化があり、

どんなに情けない事実があっても、

『自分を卑下したり、自虐ネタにするのを止めたい』

と考えるようになりました。

私の中ではものすごい変化でした。

『止めてもいい』と許可をもらったような感じです。

許可がないと勝手に進めてはいけない感覚は、ずっと昔からありますね。

今回は、

『自己肯定感が低い言動は、まわりも迷惑だから止めたら?』

という後ろ向きの理由で許可されました。(心の中から出てきた言葉です)

そういう考え方なら無理なく受け入れられる、と思いました。

自己肯定感が低く、自分から希望を言うことに抵抗感がある人間にとって、

『他人の迷惑になるから』は、大きな原動力になります。

一見ネガティブな理由ですが、

ちゃんと叱ってくれる親友から言われたような気がしてハッとしました。

変化を繰り返していくうちに、心が健全な形になっていきそうな予感がしています。

何十年も改善しなかった、自分自身に対する見方が、

少しだけ優しくなったかな、と思います。

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